Flower story13 「睡蓮の悲劇」 ~太陽とともに眠る花~ フランスの画家、モネの作品でおなじみのスイレン。朝に開花し、夕方には閉じてしまう幻想的なスイレンの花。その美しさにより、古くから愛されてきました。エジプトでは、そんなスイレンの習性や放射状に咲く姿から光輝く太陽の象徴として大切にされています。ナイル川に咲くスイレンは、ナイルの花嫁と呼ばれ、国花にもなっています。古代エジプト遺跡の壁画や彫刻にも数多く描かれ、神への供物や髪飾りなどとして使用されていました。しかし、そんなスイレンの花には、いくつかの物語が隠されており、今回は東洋での物語をお届けします。はるか昔、湖のほとりにサラナク族が住んでいました。部族のかしらであり、数々の武勇伝を持つ酋長ワヲタ(太陽)には、美しい恋人の乙女がいました。しかし、彼女の両親は、交際に反対しました。両親の気持ちを察し、悩み苦しんだ彼女は、ワヲタを避けるようになります。ある日、ワヨタは愛する彼女を抱擁しようとしましたが、彼女は逃げ出し、湖に身を投げてしまいました。ワヨタは慌てて救い出そうとしましたが彼女の姿は無く、湖にそれまでなかったスイレンが咲いていました。それ以降、睡蓮は、ワヲタ(太陽)の暖かさで開花し、日が沈んでしまうと眠るようになったそうです。 |
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Flower story12 「ヒマワリの悲しい物語」 ~太陽だけを見つめ続け咲く花~ 夏の花といえば、黄色の大きなひまわりの花を思い浮かべます。花言葉は「敬慕・憧れ・あなたを見つめる」。ひまわりは漢字で書くと「向日葵」と書かれて名前の由来は夏の太陽に花が向かって咲くことからつけられました。俳句などでも、夏の季語として親しまれ、音楽の世界でも「ひまわり」「ヒマワリ」「向日葵」と名前の付く歌はたくさんあります。画家ゴッホの「ひまわり」も有名です。そんな愛されているひまわりですが、とてもとても悲しい物語が隠されているです。はるかギリシャ時代の物語です。水の精クリュティエは太陽の神アポロに恋をしました。しかしそれは叶わぬ片思いの恋でした。水の精クリュティエは嘆き悲しみ、髪を振り乱し座り込んで泣いてばかりの毎日を過ごすことになってしまいます。恋する太陽神アポロが東の空に昇ってくるのをひたすら待ち、天の道を翔る太陽神アポロを目で追いかけ、太陽神アポロンが西の空に沈む頃には、また悲しみの涙が溢れるのです。食べるものは、自分の流す涙と冷たい夜露だけ。そんな悲しみの毎日を過ごしていました。そんなある日、とうとう彼女の足は地面に根付いてしまい、顔を花に変わってしまいました。こうして今でもヒマワリになった水の精クリュティエは太陽神アポロを追い求めているのそうです。
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Flower story11 「あなたの誕生花は・・・」 ~守護神のように見守ってくれる花~ 今日、7月14日の誕生花はユリ。昔から多くの人に愛される花です。ところで、誕生花をご存知ですか。366日全ての日に誕生花があります。その始まりは、はるかギリシャ・ローマの神話時代にさかのぼります。その頃、花や木々には神秘的な力や神からのメッセージを宿すものと考えられていました。そして、日々を司る神からのメッセージとして花と神を結び合わせ暦となったものが、誕生花です。神の力を宿した誕生花は、その日生まれた誕生の人の守護神のように自分を守り、幸福、愛、富をもたらしてくれるものだと信じられています。 ヨーロッパでは、古くから愛する人に花を贈る時、誕生花を贈る事があります。守護神のように守ってくれる誕生の花を、そばに飾ってほしいという願いからです。1年で1回だけ迎える誕生日。あなたは自分の誕生花が何かご存知ですか。そして、あなたの大切な人の誕生花は何でしょうか。誕生花を身近に飾って、活力をもらってみてはいかがでしょうか・・・。2007年度誕生花カレンダー http://www.hikari-syokubai.com/366/ |
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Flower story10 「7月7日の物語」 ~2000年前から愛される「七夕伝説」~
今日は、一年に一度、織姫と彦星が会える日「七夕」です。そして私達は願い事を書いた短冊を竹につるし、想いを込めます。天の川をはさんできらめく牽牛星・織女星の物語。いまから2000年前にはすでに中国で成立していた伝説だといわれています。日本では奈良時代に宮中の行事としてとりおこなわれ、江戸時代になると、民衆の間にも広がっていき、このころから、竹に短冊を飾るスタイルが定着したようです。星に願いを叶える行事を行う国は珍しく、世界を見ても稀です。日本古来の伝統と風習が、中国の行事とうまく混ぜあわさり、いまでもさまざまな形で、大切に伝えられているのかもしれません。今回はそんな七夕のお話。なぜ竹が選ばれたのかをご紹介します。竹は、一年を通して、緑を保ち、しっかり根をはり、一日に1メートルの速さで真っ直ぐに成長することから、生命力溢れる神聖なものとして古来より愛されてきました。その他にも、①殺菌力があることから魔を払うとされていること、②魔に対抗する手段である弓矢が、竹と笹で作られていたこと、③竹の旺盛な成長力が男性的で、空洞は女性の子宮と考え、かぐや姫が3ヶ月で成人したのは、竹の子が親竹になる期間と似ているという神秘性も伝えられています。それゆえに、竹は昔から神様が降り立つ場所として考えられ、願い事や祈り事の成就を意味するようになりました。きっと今日も、たくさんの願い事が竹に託されています。
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Flower story09 「アヤメの愛の物語」 ~愛を信じたアヤメと頼政の物語~
この季節、初夏の花といえば、紫陽花の他にもアヤメやかきつばたなども思い浮かびます。アヤメは日本をはじめとした東アジア原産のお花で、高貴な色合いから広く愛されています。「いずれアヤメか、カキツバタ」という言葉も有名で、様々な場所がアジサイ、あやめなど初夏の花に彩られています。そんなアヤメには、さらに美しい恋の物語が隠されていました。それは日本の古典文学の1つ「太平記」に中に記されていました。太平記とは、全40巻で、南北朝時代を舞台に、後醍醐天皇の即位から、鎌倉幕府の滅亡、南北朝分裂、観応の擾乱、二代将軍足利義詮の死去と細川頼之の管領就任までの1318年から1368年までの約50年間を描かれた軍記物語。アヤメの花に隠された物語は、源三位頼政公のお話です。ある日、天皇は頼政の心を試すためたくさんの女官を集め、遠くに並べました。その中で愛するアヤメを頼政は見つけることができるのかを試したのです。頼政はしばらく考え、頼朝公は大声でアヤメの花の歌を詠みました。するとただ一人、ポッと頬を赤らめた女官がいました。こうして頼政は、大勢の女官からアヤメを見つけることができ、その後アヤメと幸せに暮らしたと言われています。そんな恋の物語が隠されたアヤメの花言葉は「信じるものの幸福」幸せになるためには、「信じる」という勇気が必要なのかもしれません…。 |
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Flower story08 「紫陽花の悲恋物語」 ~日本とドイツを結ぶエピソード~
6月の花「紫陽花」学名「オタクサ」降り続く雨の中に咲く紫陽花には日本とドイツを結ぶ悲恋のエピソードが隠されています。今日はそのお話を…。 時は江戸末期。医師・博物学者であったドイツ人のシーボルト。彼は、憧れの東洋へ行くべくオランダへ仕官し、オランダ商館付医官と日本の総合学術調査のために長崎の出島に住む事となりました。そこで一人の女性「お滝」に出会います。シーボルトは遊女であったお滝に一目ぼれし結婚。翌年シーボルトは「鳴滝塾」を開設し、ここから多くの名医を輩出しました。しかし、その後、シーボルトは国外へ日本地図を持ち出そうとしていた事が発覚し国外追放となってしまいます。遠く離れたヨーロッパでシーボルトは、ミュンヘン大学の教授と共著で「日本植物誌」を発表しました。その時、アジサイの中でも大輪で一番美しい品種に、自分が愛したお滝の名前を付けました。それが「Otakusa」です。「お滝さん」が訛って「Otakusa」と名づけられました。シーボルトが日本を離れて30年後に追放令が解除され、2人は日本で再会したそうです。 |
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Flower story07 「ウエディングブーケの話」 ~美しい花嫁に幸せを添えるロマンチックな物語~ ![]() 結婚式には欠かせないウエディングブーケ。ブーケとはフランス語で花束という意味ですが、日本ではブーケというと結婚式でウエディングドレスを着た花嫁が持つブライダルブーケのことを意味するのが定着しています。でも、なぜ、ウエディングに欠かせないアイテムになったのでしょうか。今回は、ブーケの起源をとてもロマンチックなお話でお届けします。 (1)はるか昔、ヨーロッパでの出来事。ある花婿がプロポーズの印として花嫁に花束を贈り、そして結婚式当日、教会にまで行く途中の野原で花婿は野花を摘んで花束にして、愛する花嫁に贈りました。これが始まりといわれる説。 (2)挙式を前にマリッジブルーになっていた花嫁の気持ちを励ますために、野花をそっと摘み花嫁のもとに届けたということから、花嫁がブーケを持つようになったという説。 (3)19世紀から20世紀前半頃のヨーロッパでは、婚約した男性は女性へ毎日花を贈る習慣があり、花の種類は白く沢山の実をつけるオレンジの花が好まれていたそうです。その花には、子供がたくさん授かりますようにとの願いを込めて、贈られていたようです。その習慣が形を変え、結婚式の朝に花婿が花嫁へ花束を贈るようになったという説。 どの説にしても、愛する想いがブーケという形になって、美しい花嫁に幸せを添えるアイテムになったようです。そして、ブートニアは、花嫁が「貴方の愛を受けます」という印に、貰ったブーケの中から一輪を抜き取り、花婿の胸のボタン穴に指したことから始まったと言われています。英語のボタン穴「Button Hole」が変化し、ブートニアという名前になったそうです。 日本では、1965年頃から、結婚式が洋風化にしていき、ブーケを持つようになりました。ウェディングブーケには大切な花嫁を邪悪なものから守るとも言われており、純潔、邪悪をはねのけるというイメージの「白色」がシンボルとして愛されています。形にも種類があり、(1)オーソドックスなデザインの「ラウンド・ブーケ」(2)伝統的な「キャスケード・ブーケ」(3)ナチュラルなデザインで茎を美しくみせる「クラッチ・ブーケ」(4)茎が長く、大人な雰囲気の「アーム・ブーケ」(5)楕円のデザインで気品のある「オーバル・ブーケ」(6)三日月の形で個性的な「クレッセント・ブーケ」その他、「ボールブーケ」「バッグブーケ」「リースブーケ」と色々あります。
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Flower story06 「父の日の悲劇」 ~アメリカの悲劇が生んだある父親の物語~
母の日にまつわる物語を2回目でお届けしました。今回は6月の第3日曜日「父の日」にまつわる物語を… 父の日の始まりのきっかけは、アメリカ・ワシントン州のジョン・ブルース・ドット夫人の父に対する思いから生まれたと言われています。 1861年4月12日アメリカの悲劇「南北戦争」が起こります。ドットの父は北軍の軍人で、 1865年4月9日の終戦まで、召されていました。その間、母親が女手ひとつで一家を支え6人の子供(男5人、女1人)を育てましたが、父親の復員後、過労によってこの世を去りました。その後、父親は、残された子供たちを男手ひとつで育てあげ6人が成人してから他界しました。再婚もせず、生涯独身で働き通したそうです。当時は、今日のような豊かなアメリカではなく、悲劇の時代と言われていた頃で、その苦労はなみなみならぬものであったと思われます。 戦後の大変な時代を、再婚もせずに懸命に働いた父親の姿を見て育った子供達。その末っ子であるドットが、父を称えて「父の日」を提唱したのが始まりで、その後、1972年になって6月の第3日曜日を「父の日」として制定し、国民の休日となりました。 日本では、1981年に「日本ファーザーズ・デイ委員会」が設立され、父の日が国民的イベントになっていきます。 ファーザーズ・デイ委員会は、「父の日黄色いリボンキャンペーン」などの活動を行うようになり、日本では、黄色を父の日カラーにするところが多くなりました。黄色の由来は、「イギリスでは古来、「黄色」は身を守るための色とされており、「黄色」がアメリカに渡って「黄色いリボン」となり、「愛する人の無事を願うもの」となったため」と言われています。一般的には、白いバラを贈るのが定番で、その由来はドット夫人が父親の好きだった白いバラを父のお墓に供えたことと言われ、父親が健在なら赤いバラ、他界された後は白いバラを贈ると言われています。余談ですが、台湾の父の日は8月8日です。それは「爸爸<パパ>」と「88」の中国語の発音が同じだからだそうです。 父の日の贈り物に バラ http://www.hikari-syokubai.com/cat15/ |
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Flower story05 「6月の花嫁」 ~女性の守り神ジューノ~
6月の花嫁がジューンブライドと呼ばれ、この月に結婚すると幸せになれるという言い伝えの由来には
いくつかの説がありますが、今回は最も有名な1説を。
「6月すなわちJUNEという月の名前が、ローマ神話のジューノと呼ばれる女神からきており、
そのジューノの女神は女性の守り神であり、婚姻を司る神様であることから、
6月に結婚すると女神がふたりの幸せを守ってくれる」と言われています。
日本では梅雨の季節であまり好まれない月ですが、ジューンブライドは女性の憧れになっており、6月に結婚式を行うカップルはたくさんいます。
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Flower story04 「オヒア・レフア」 ~ハワイに伝わる悲恋伝説~
今回は日本を超えてハワイのお花の話。
ハワイは古代から様々な神をうやまってきた神秘の国。
そんなハワイでは、花々や木々にも様々な神にまつわる話があります。
どこの国でもそうですが、ハワイでは特にいたずらに花を摘まないように!
レイを作るアーティストも花を摘む時は祈りの言葉を言い、神に感謝しながら必要な分だけを頂くそうです。
今日は最も有名なオヒア・レフアのお話を・・・
オヒア・レフアの木は、火山周辺の溶岩台地に、深紅の花を咲かせます。
木の部分をオヒア、花の部分をレフアと呼び、レフアの花はレイにも時々使われたりします。
木と花の名前がそれぞれ違うオヒア・レフアには、火の女神ペレにまつわる伝説があります。
「オヒア(青年)とレフア(女性)はとても仲のいい恋人同士でした。ところがある日、
オヒアを見たペレが彼に一目惚れし、彼にアプローチ。しかし、オヒアはペレを無視。怒り狂ったペレは、
嫉妬のあまり二人を殺してしまいます。その後、後悔の念にかられたペレは、オヒアの体を木に、
レフアをその木の花に変えました。一生離れることがないように。」
ハワイではこの「オヒア・レフア」の花を摘むと雨が降ると言い伝えられています。
それは、花を摘まれて離れ離れになることを悲しんだ恋人たちの涙だとか・・・
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Flower story03 「不思議な花言葉 」 ~先人達が込めた想い~
”花言葉”赤いばらの花言葉は「愛・情熱」ユリの花言葉は「純潔」。多くの人がそんな花言葉を知っているのではないでしょうか。そんな神秘的な花言葉は、花に魅了され、愛した先人達が身近な植物に想いを込めたことから始まりました。花言葉は、国や地域・時代や宗教によって込められた想いが違うので、、1つの花にたくさんの花言葉が存在しています。日本には、明治初期に、西洋文明とともに主にイギリスの花言葉が持ち込まれましたと言われています。古く昔から語り継がれる花言葉。それは、花を愛する心が、時代を超え、国境を越えたということではないでしょうか。口では言えない想い・感謝の気持ちを花言葉にのせて、大切な人に届けてみてはいかがでしょうか。そして、きっと知っているだけでも、もっともっと花が好きになるかもしれません。花言葉という不思議な言葉で、生活に彩りを添えるお手伝いができれば幸いです。 花言葉辞典 http://www.hikari-syokubai.com/cat329/ |
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Flower story02 「母の日の始まり」 ~カーネーションが選ばれた理由~
5月の第2日曜日”母の日”色々な想いをのせて、多くの人がおかあさんにプレゼントを贈る日。 今は、おかあさんの好きなお花を贈ったり、おかあさんが欲しいものをプレゼントしたりと、カーネーションには拘らなくなりましたが、やっぱり母の日といえばカーネーション!なぜ、数あるお花の中からカーネーションが選ばれたのでしょうか。その理由には、多くの説があります。1つは、母の日の提唱者であるアンナ・ジャービスのおかあさんが好きだったお花というもの。そもそも、母の日が世界中に広まり、知られるようになったのは、アンナ・ジャービスという一人の女性の想いが始まりといわれています。アンナの母は、優れた社会運動家であり、貧困や病気で苦しむ人のために募金活動をしたりと平和を願い、献身的に活動した女性であったそうです。母親としての愛情だけではなく、多くの人々に愛情を注いできた母親。その亡き母を想い、娘であるアンナ・ジャービスは追悼式に白いカーネーションを参加者に配りました。それが社会的に注目され、そしてアンナ・ジャービスも、すべての母親の社会に対する貢献を讃えて「母の日」を祝日にする活動をし、1914年には5月の第2日曜日が母の日と制定されました。現代では家族のために尽くす母親への感謝の日として受け継がれているようです。 |
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Flower story01 「バラを愛した二人の女性」 ~絶世の美女クレオパトラとナポレオン妃ジョセフィーヌ~ 01古代エジプトのプトレマイオス王朝最後の女王「クレオパトラ」
唐の楊貴妃・日本の小野小町とともに古代世界の三大美女と伝えられるクレオパトラは、フランスの哲学者パスカルも、「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史は変わっていただろう」と記すほど、彼女のたぐい稀な美しさを絶賛しています。彼女は、薔薇の芳香をこよなく愛し、バラの花びらを浮かべたお風呂を楽しみ、当時、金の何倍もした高価なバラ香水もふんだんに愛用したと伝えられています。 また、、ローマの将軍シーザーやアントニウスを迎えるときに、部屋じゅうに薔薇の花を敷きつめたという伝説もよく知られています。 02ナポレオン妃ジョセフィーヌ
ジョセフィーヌがいなかったら・・・彼女が薔薇にこれほど傾倒しなかったら・・・薔薇栽培の道程は大きく異なるものになったといわれるほど、薔薇の歴史にジェセフィーヌの存在は欠かせません。西インド諸島マルティニクという温暖な島に生まれた彼女は、フランスに渡りナポレオン1世の妃となりますが、幼少から無類の植物好きで、なかでも薔薇を好み、集めた品種は300種にものぼったといわれます。ジョセフィーヌの薔薇への情熱はおそるべきもので、世界中から薔薇を収集しました。それだけでなく、優秀な植物学者や園芸家を集め、植物や薔薇の研究を援助するようになります。彼女の薔薇への情熱が、後世に大きな遺産をもたらし、彼女の膨大なコレクションは薔薇図譜として残され、今日でも貴重な資料となっています。 |